自分の人生を生きる勇気♡


 今までの人生の中でたくさんのトラウマや思い込みをお花と共に赦し手放してきたけど、
一番やねこかったのが幼少期の頃親の生き方、考え方を自分のもののようにわたしも生きていたこと。
とくに強かったのは、「期待」。

親が思う自分にならないと自分は愛されない、認められない、それに反くわたしは親不幸者だまで思っていた。

親がそうしてくれたら嬉しいと思っているだろうという勝手な妄想の中の期待に応えようと必死で、そうなれない自分をどこかで責め、でもどこかでわたしと言う存在をそのまま認めて愛して欲しかった。

親自身も同じような思いを小さな頃から持って生きていて、そこで自分を自由にさせてあげられなくて苦しんで、自分自身が親から卒業出来なければ、それを旦那や周りの人達にまで同じ思いを抱き出し、今度は子供にも同じような期待をかけては、応えてもらえなくて愛されていないかのように悲しんでいる。

親から期待されているかの様な幻想を全て横に置いて、
本当はわたしはどんな人生を生きたかったのか。どういう自分を表現して生きていきたくて、どんな事が幸せで、どんな事が喜びでどんな仲間とどんな暮らしをしたいのか。

その問いからわたしを生きるって事がはじまる。

わたし自身親から卒業し自分を生き始める事で、親自身も本当は自分はなにが喜びでどんな自分を表現して生きていきたかったのかという事に向き合う事が始まってる。

親であろうとひとりの男であり女である。
完璧じゃないし、親が全て正しいわけじゃない。
みんなそれぞれ考えも違えば表現できることも違う。

親だからとか。
娘だからとか。
妻だからとか。
母だからとか。

そんなのはどうでもいい。

自分の本音から湧き出てくるものを自分なりの表現で表していけばいい。

そう許せたときわたし自身も周りの大切な人たちも自由にさせてあげられるよね。

愛しているから期待に応えようとじゃなくて、
愛しているから自分も自由に相手も自由に、
それぞれが自分の足で立って、支え合い生きてゆく。

わたしはそうやって生きていたなぁ。



今あちこちで堂々とした姿で咲き乱れてるアザミ。

遠慮はいらない。
堂々と自分を生きていく。
そんな事をアザミから教えてもらう。

自分を思いっきり表現する勇気をくれるアザミの花のエッセンスを作りながら、そんな事を感じる朝。

わたしの受け取ったことが、同じ様な思いを持って生きてきた誰かのひとしずくになれば嬉しい。

今日も自由に人生をクリエイトしていこう♡

今日もありがとう♡

kumi





ひとしずく

自然と溶け合い生きている日々をつづり、一人一人のいのちがこの世界のひとつのしずくとして、あいの波紋を広げていけたらといつも想い生きています。 花療法、Qigong 、Retreat senter「森の唱」を通して、わたしに出来ることお伝えしていきます。

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